残酷な漫画、なんかもしれへんー『ハチミツとクローバー』の不完全性
別に、ハチクロが不完全な漫画やからあかん
とか
『ハチクロ』の不完全性がどれだけ何がそれで
と
難しいことを言うわけではありません。
先日友人の結婚式の二次会にて、前の彼女と再会しまして。
別に僕のプライベートを語っても気持ち悪いだけなので、濃く書くことはありませんが、それはもうとてもじゃないけど人には言えないような酷い振られ方をした相手です。
でも、再会すると、楽しいもんなんですね。
そういうわけで一悶着あったわけですが、やっぱりどう考えても不毛なわけです。
とてもとてもナルシスト的に言うのであれば、山田さんと真山の関係みたいなもんです。
まぁ僕が山田側なのですけど。
だから今回ですっぱり、改めて過去と決別する機会を得たわけですが、今回の話は僕の話なんかではなく羽海野チカ『ハチミツとクローバー』の話です。
ちょっと、考えるきっかけとして、自分のことがあったから触れただけで、これ以上僕のことを書いても気持ちが悪いだけです。
そういうわけで、『ハチミツとクローバー』。
『ハチクロ』の中の人たちも、色々な関係性を上手い具合に清算して、上手くやっていくんです。
あの漫画は、ザックリ言うと主要人物が片思いの関係で、色んなところでアレやコレやと繋がってたり何やったり。
ややこしいながらも、友人という形の上で何がどうなっていくのかと描かれていく感じです。
いいことから悪いことまで、結末についてはご存知の通り。
それはもうとてもとても美しい形で終わります。
何かが終わることは始まるということやったり、終わるということが本当に終わるという音だけを染まさなかったり、とても美しい価値観が描かれます。
失恋や何やというような形を、どのように意味付けするのか、一つの可能性を与えてくれるようなのです。
が。
が、です。
「その後」がわからないんですね。
だからどうなってんな、と。
人はきっとドラマや漫画から、立ち直るすべや何やと学ぶというか、自分の姿と重ねることがあると思う。
でも、この漫画には、「その後」が描かれていないのです。
恋をすることの意味や、人と関係を築くことの意味、色んなことが描かれてるし、色んな意味や可能性を与えてくれます。
みんな色んなことに気がついたりして、それぞれの道を選ぶんです。
選択する、そこで終わる。
案外、本当に知りたいことや、自分を重ねたいなと感じることは「それから」のほうやったりするのかもしれない。
でも、その選択をした後のストーリーって言うのは、人から提示されるものでもない。
不完全であることが完全である、そんな終わり方。
一つの作品としてはとても美しく、ちょっとした余韻を残すような感じで、ちょうどいいのかもしれない。
ただ、本当に知りたいのはその後の話。
ある一つのことについて一つの答えが出て、その答えって言うのは・・・それが知りたい。
漫画の表す不完全性が、とても気持ちが悪い。
そんなことをぼんやり考えた時、『ハチクロ』がとても残酷な話に思えたきた。
でも結局のところ、自分で答えを探すしか無いねんな、これが。
『ハチクロ』の残酷さ、それを考えてみても、やっぱりとてもいい漫画。
不完全やからこそ、完全にいたるまでの可能性を残しているから、とてもいいのかもしれない。
わからないことを残すことで、その不完全性があってこそ、あの漫画は完全なものとなるのかもしれません。
やっぱり、アニメのエンディングにスネオヘアーをもってきてたのは、正解やったなぁと思う。