季節を感じるんて、大切やってんな。

梅雨が明けた、まだ終わってないのに、祇園祭
京都の夏は祇園祭が目安、梅雨が明けるかなー、どうかなー、まだかなー?って時が宵山とかの時期。
山鉾巡行が終わるのと、梅雨が明けるのは、何て言うか馴染みがあるというか、うん、そいういう関係で覚えている。

幼い頃、梅雨が明ける日と言えば大雨が降って、雷が鳴って、何日も続いた雨とは違っていた。
「えらいきつふるなぁ、雷も鳴ってるし、明日梅雨が明けるえ」と、祖母が毎年言っていた。
実際、そんな天気の次の日は、パーッと奇麗な青い空が広がっていた。
祇園祭に行くような歳になると、宵山にくりだしたら途中で大雨が降ってきて、雷が鳴って。
狐の嫁入りやなぁ」とか言うて、やんだと思えば青空が広がって、濡れた道路のせいでよけ蒸し蒸しして。
梅雨が明ける時って、そう言うもんやと思っていた。
でも最近はそんなこともないし、梅雨の時期に「あーめんどくさ」って思うこともあまり無い。



自分から季節感が奪われていく。


「暑いな」「寒いな」「涼しいな」「ぬくいな」


それだけ、このままやとただそれだけになっていきそう。
春になると春の匂い、竹林の青い独特の竹と土の香りして、ちょっとぬくくなっていって。
キリシマツツジが咲いて、雨が降るようになって。
体にまとわりつくような、イヤラシい暑さに嫌気がさして、大雨が降って、祇園祭があって。
梅雨が明けて、じめじめした暑さに拍車がかかり、日差しが強くなって。
だんだん、涼しくなって、見渡す山が奇麗な色に染まって。
寒いなぁって言いながら、底冷えのする、夜の街を耳を痛くしながら歩いたり。
あまり降らへんから、雪が降ったら無駄に元気になったり、そうかと思えばちょっと北に行っただけでよけさら寒くて普通に積もったりしてたり。
そんでまたちょっとずつぬくくなって、また春が来て・・・。

季節って言うものは、どこに行っても、感じられるものやと思っていた。
でも実は違うらしい。
ただ「暑い」「寒い」と言うのとは、違うかったらしい。
目に見える景色や、色々な香り、肌で感じるもの、などなど。
感じられるもの全てがそうやったらしい、というか、それこそがそうやったらしい。
引っ越してきて、季節を感じるものが無い。
まだ知らないだけかもしれないけれど。

寂しい。
自分から、色々なものがはぎ取られていくようで。
自分が自分として生きてきたもの、築いてきたもの全てが奪われていくようで。
哀しい。


ただいま、絶賛ホームシックです。
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