言葉の文化圏、それとアイデンティティ
Facebookに以前投稿したネタ。
>引っ越してきて言葉の通じる通じないを日々感じていますが、「ひち」文化圏外でまさかの発見。京都や大阪では見かける「しち」を表す「ひち」の文字、僕らにしてみたら「ろく」の次は「ひち」なのである。これが通じるのは関西圏だけのはず。実際、同期や先輩社員は「質屋」や「七」の「しち」を「ひち」とは発音しないそう。関西からの移民が開いている店なのかもしれへんけど、方言やら何やら、何がどれだけカバーされているのか、言語文化圏は意外と複雑。
こう書いて貼付けていた画像が、これ。
関西圏ではでかでかと、堂々と「ひち」と壁に書いてあったりする。
それが「質屋(ひちや=しちや)」。
この「ひちや」さんは関西からの移民の方だと勝手に想像していたのだけれど、院生時代の研究室の後輩(名古屋出身)が「かけ算は『ひちひちしじゅうく(7×7=49)』でしたよ!」と、この時のコメントに言葉を残してくれていた。
そんなアホなと思い、まぁ関西出身で名古屋で先生やってる人もいるやろうしな。
とかとか、認めたくない部分があったものなのだけれど、昨日、サイクリング中にまさかの発見。
でました、「ひち」の文字。
ついに名古屋で2件目。
名古屋は言語文化的には「ひち」の文化圏なのでしょうか。
言葉の通じる通じないっていうのは不便を感じながらも楽しんでいたり。
そんな事よりも「(そこでは)自分しか知らない言葉」があると言う事が自分を自分足らしめているというか。
やっぱり「自分が生まれ育った場所の言葉」である関西弁、京都弁っていうのを喋れるから、自分であるというか。
人と違う=自分である事ができる事、というか。
通じてくれたら嬉しいのだけれど、何か悔しいというか。
言葉って、人にとってとても大きな意味を持つものやねんな、と改めて実感。
それでも客観的に見ると、どの言葉がどこまで通じるとか、違う文化圏が重なる部分がどこの地域なのか、とか。
考えてるとワクワクしてきますねんな、これが。
話があっちゃこっちゃいったり、フラフラとブレ過ぎて結局どうやねんな、って感じですが。
通じる言葉が多いと喋り方が引っ張られるというかうつりやすくなるから気をつけないと。
いつまでも関西弁と京都弁、喋り続けたいですね。