人と会う、あるいは再会するという出来事について

人と会いたいという、自分が抱く思いに対して、僕は思うようになれないという性格らしい。
それは初めて会う人、既にお互い知り合いという間柄のどちらにたいしても。
人見知りをする、しかも極度の人見知りであるというのは自分でもわかっていたけれど、最近はそのダメさ加減に自分でも本当にがっかりする。
最近は初めて人と会うところに行ったり、同窓会があったりと人と会うことが続いたので、余計にそう思った。
「あー、この人と喋りたかってんな」と思う人に限って思うように喋れない、本当に絶望した。


普段、大学院という狭くて苦しいくらいの世界にいると、初めて会う人でも「何の研究されてるんですか」と聞く(聞かれる)だけで1時間でも2時間でも会話が成立する。
昔、学部生だった頃に出会った何歳も年上の他大学の大学院生がまさにこのパターンやった。
その人たちを見て「人に対して研究でしかモノをはかれない、こんな大学院生にはなりたくないなぁ」と感じていたのに、今の自分は割と近いところにいたりする。
「割と」とつけたのは、まだ自分がそうではないと思いたい願望でしかないねんけど・・・。
せやから普段から人と話すことは、できるだけ研究の内容を自分から話さないように意識をして、他愛のないことを話すようにしていたり。
無理にそうしているわけではなくて、実際にそんな話ばっかりしていても疲れるし、ご飯食べてる時とか休憩しているときくらいそんな話はしたくないし。
それでも研究とは関係のない話が成立するのは、同じ環境で同じことをしている相手だから成立しているだけなのかもしれない。


そう思いながらも、必ずしもそうではない。
仲のいい友人や、バイト先の人たちとは、くだらない話をして楽しめたりする。
それはお客さんに対してもそうやったり。
それは「おしごとでやってるだけかもよ」ってやつなのかもしれないけれど、そこにはお客さんと店員という関係だけではおさまりまりきらない何かがあったり。


多分、相手との関係に置いて、何らかの「時間」的なものが存在した時に、困るのだと思う。
再会する人とは再会するまでお互いが過ごした時間、初めて会う人でも会うまでにお互いが過ごした時間がある。
その「時間」的何かを感じた時に、相手を凄く観察してしまう。
たぶん相手だけじゃなくて、自分自身も。
自分で言うのもおかしな話やけれども、高校生のときくらいから周りを観察して、自分を出来るだけ客観的に捉え直すことで、自分を保ってきたと思っていたりして、そうすることで自分の立ち振る舞いを決定してしまったりする一面が僕にはあると思っている。
だから相手を良く見て観察して、今の自分がこの人とどうやったら関われるのかを凄く考える。
それを会話という場面におくと、相手に何をすると失礼なのかとか、自分の悪い癖を考えて相手に失礼にならないようにしようと必死になったりしてしまう。
たぶん、それが逆にあかんかったりするんやろなと、自分で考えている今現在ですら、なんか自分の行動が気持ち悪い。
冷静すぎる、そのくせ場が読切れない、結局これが一番の悪い癖。

だから初めて会う人にはあまりいい印象をもたれなかったりするらしい。
今では本当に仲のいい、学部時代の友人のほとんどに「お前と友達になるとは思わへんかった」と言われたくらい、第一印象と違うらしい。
もともとが喋りやから、仲良くなれれば鬱陶しいくらいしゃべんねんけども・・・そこまでが長い。


さてさて、じゃぁそれをこれからどうすんねんな?と言う話にもなってくるわけで。
慣れしかないんかなぁとか思ったりするけれども、どうすれば失った(ある意味での)「社会性」を取り戻せるのか、四苦八苦しているわけで。