祖母の記憶と自分

こないだ、ひょんなことから祖母のことを思い出した。
母方の祖母、兵庫に住んでいて、播磨弁っていうか、もうそこのローカルな訛が強かった。
そんで、混ぜご飯がめっちゃおいしかった、あ、そうそう、ひじき食べてたら混ぜご飯のこと思い出して、祖母のことを思い出したんやった。
ちょうど10年前に亡くなったのだが、よくかわいがってもらったし、よく怒られた記憶がある。
うちの家はテレビゲームを買うのが遅くて、みんながプレステを持ち始めた頃にスーファミを買った。
あまりソフトも買ってもらえず、結局あまりやらんかった。
それからプレステも買ったけど、やったのはよくやったのだが、今となってはあまりやった記憶がない。
それでもよくやってたときは、祖母の家に帰省するときも持っていって、祖母の家でもやってた。
ちょうど中学生くらいやったやろうか、よく「勉強しろ」と怒られた。
ゲームばかりやっていたらあかんと。
母方の家は、いろいろな事情があって、勉強に対しては厳しかった。
まぁ決してその「教育ママ」的な、そのなんていうかエリート的な方向にすすませるための厳しさではないけれど。
勉強したくても出来ない人がいるのだから、ちゃんとしなさい的な、そんな感じで厳しかった。
まぁもちろんいいところに行ってくれるならそれが一番良かったのだろうけど。
いとこの中では、僕が上からに番目で、上のいとこはわりかし良く出来る方やった。
そこにモデルケースがあるわけで、そこと比べられて、怒られた。
でも僕は勉強が凄く嫌いで、まったくと言っていいほどやらへんかった。
高校に入ってすぐ、祖母が亡くなったから、今の自分を見せられていない。
大学入試も、大学院入試も、あまり勉強はした記憶がない。
今もそう、でも学問はやってるし、そういった意味での「勉強」はやってる。
勉強しろと言われてもしなかった僕は今大学院にいる。
その姿を見せたかった、と言うわけではないけれど、もしそんな祖母が今の僕を見たらどう思うのだろうか。
そんなことを考えてみたりした。
もっと胸を張ってやっていけるように頑張ろうと思った。