学校生活

今日から新年度、うちの弟も今日から大学生になりました。
まさか7つも年下の弟が大学生になる時に、まさか自分がまだ学校に通ってるとは、高校を出た時には思いもしていなかった。
当初の予定では今頃、どっかの高校の教壇に立っているはずやったけれども、何がどうなってこんなことになってしまっているのやら。
人生どこで何があるのかわからない。
そうそう、高校卒業する時には、ていうか、小学生のときから教師になりたかったわけね、叔母の影響もあって。
でも中学でて高校入る頃には気象予報士か教師にと思って、理系に進学するつもりやった。
そこでまず一回目の挫折があって、僕は物理がまったく出来ない人間やったので、気象関係の勉強ができないことに気づいたのね。
そこで文転、今まで勉強もしたことないし苦労もしたことのない英語でもやれるか、と思って。
ドイツ語とかにも興味があったけれども、教師になるにはなぁ、とか英語の方が潰しがきくしなぁとか考えて、英文科か英語科、あるいは教育学部を目指しはじめる。
で、実際受験の時、滑り止め以外は外国語学部の英語科だけを受けて、受験に失敗、地方の国公立と滑り止めだけ受かって、ごねてごねてごね倒して浪人することに。
浪人してもまたしても失敗、結局前の年も受かっていた滑り止めの大学、文学部英文科に。
そうそう、僕は今行っている学校も含めて、大学には3つ行っています、ここがまず一つ目。
高校卒業頃から興味のあった言語学の授業を受けて、実際にはまってしまって、修士くらいはとろうと思って学部1年の時に進学を決意。
そこの大学じゃ詳しく出来ないから、他大学へ行こうとして、専門の勉強をすすめる。
そんで、2つ目の大学に3年から行くことに、またしてもココで挫折。
ここで知り合った友人、今は別の大学の大学院で研究をしている友人と出会い、言語学はもう無理と感じる。
次に何をしようかを考えていた時に、ちょうど言語文化にも興味を持ち始めていたのでそっちをやろうと。
それと、その頃出会った先生のおかげで、対象にする地域も決まり、そっちをやろうとしたけれど・・・
色んなことに興味が出始めて、卒論は結局映画について書くことに。
今の地域研究に引き込んでくれた先生とは別に、もう一人師匠がいるのだけれど、映画のことをやろうとしたのはその人の影響。
で、進学して研究を続けるつもりなら他大学に出た方が良いと言われて、今の大学の大学院を受験して内定。
卒業後はココに進学して、卒論で扱った映画から、またいろいろと関心の方向が変わりながらも、今の研究に至るわけ。
で、気づいたら「とんでもないところに来てしまった・・・」と、論文も書けずに後悔したりも指定ますが、大学に7年いてることに。
人生どこで何があるかわからないと言ったけれども、こうやってみて見ると、別にそういうわけではない気がする。
結局は自分の意志で色んなことって言うのは決まっていると思う。
周りの影響もあるとは言え、自分が、自分でどうやって動くか、自分の主体性って言うのが一番大きい。
どこで何があるのかわからないのではなくて、どこかで何かを作るのは自分なのだと、思います。
やり直しがきくわけではないけど、いくらでも色んなことは出来るしねえ。
きっとこれからもそうやって生きていくのだろうなぁ、なんて思った年初です。