生きることと時間、その二

昨日に続き、時間について思うことを。
風呂に入る理由は、「裸である時間」を作るためでもあると思う。
人間、一日にいくらかの時間は何にも締め付けられない時間が必要。
ベルトはもちろん、靴下やパンツのゴムでさえもが、わずかな力であろうが、人の体に幾分かの負担をしいているのではないか。
そんなことを考えている頃、毎日裸で寝ていた頃があります。
もちろん、風邪を引いてしまった。
だからやめたのですが。
そう思うと深夜の高速バスとか、あれを使う時は本当に地獄だ。
社内で裸になることなんて出来ない、もしなったら変態扱いされるだけですむ問題でもないし。
かといってバス内のトイレで裸になるわけにもいかず。
もし事故やなんかがあった時に、裸で発見されたくないし。
こう、快適な生活って言うのは人間どうやって獲得していくのだろうか?
なんて、こんなくだらないことを入り口に、つらつらと考えてしまうわたしです。