変わるもの、変わらないもの

GWは実家に帰ったのだけれど、本当にそこが地元なのかわからないほどに、家の近所が変わっていた。

高速道路の建設、新駅の建設など、ずっと工事をしていたのだけれど、地元を離れた1ヶ月のうちに高速道路が開通して、工事で隠されていた場所が全て解放された。

さっそく帰る時に地元にできたICを利用したのだけれど、ナビで確認できる位置と風景がまったく一致しない。

次の日に明るくなってから、確認しに。

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見たことのある建物があっても、どこの何か思い出せない。

毎日のようにランニングで走っていた道路に、信号ができただけで、そこがそれとわからなくなる。

それでも、この季節になると街で見かけるものはちゃんとあった。

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毎年変わらず、真っ赤なキリシマツツジがさき、近所には観光客が。

写真とりながらフラフラしてると、高校の同級生と再会したり。

高校の同級生とはあまり付き合いがないのだけれど、ひょんなことから最近連絡を取るようになった友人と、たまたま。

旦那さんも紹介してもらったり、少しだけでも話ができて良かった。

ちょっと油断しただけで街の風景が変わってしまったり、してソワソワしていた。

家にいてもどこか所在がなかったり、「知らない」ということが増えていくことが怖かった。

やっぱり、自分の居場所が、少しずつかも知れないけれど。無くなっていっていると感じる。

そして、自宅に帰った時に落ち着いてしまったり。

自分の「いるべき」場所っていうのが、少しずつ、自分の中でもちゃんと変わってきているのかもしれない。

まだまだアンビバレントな状態やけど、それはいましか体験できないこと。

いろんなことを考えてしまった初めての帰省。

残っている人たち、残っている風景、残っているもの。

人から言ってもらった「心の場所があるから」っていうのを、ちゃんと見つけられるのか、変わらないものの中でまずは見つけいけたらいい。

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