集団に属すると言うこと

僕の通う大学院の研究科は、論文を作成した後に口頭試問ではなく、公聴会が開かれる。
学生だけでなく、知っている人なら誰でも、一般の人でも論文について聞きに来れる。
そこで20分の発表の後、10分の質疑応答があり、その後の審査を経て晴れて進学、卒業となる。
まぁ僕は今年論文を提出しなかったので、公聴会を開かないのだけれども、同期の友人たちは公聴会を開くわけだ。
そこで、先日公聴会プログラムが発表されたのだけれども、研究室同期の友人と、別の研究室所属の同期の友人の発表時間が被った。
友人の研究の話はゼミや研究会等で今後も聞く機会があるのし、別の研究室の友人の研究の方が自分の研究と照らし合わせても関心を持てるので、そっちに行くつもりをしている、と話していたら、同じ研究室の友人から
「ファミリーの方にくるのが普通でしょ。ま、当日いないな、と気になって調子を崩すよりも先に行ってもらってる方が良いけど」と言われ、機嫌を悪くされる。



地域研究を行う上で、同じ地域や扱う問題のテーマで研究室を選んで進学したから、研究対象が異なっても友人の研究に関心がないわけではない。
他研究室の友人の方が自分の研究と重ねると、どこか問題関心を共有しているのは本当だけれども、他の行かない理由としては「歴史学がつまらない」というのもある(歴史学をやっている人が見ていたらすみません、学問に対しても興味は何にでも興味あるわけではないので)。
他研究室の友人は社会学で、そっちの方がどちらかと言うと自分の分野は近いし、自分にとっては、話を聞いていても面白い。
僕はまぁ学問をやるのに、「こういうシステム」が凄く嫌いで、そういう意味での枠組みはなくなってしまえば良いと思っている。
「ゼミ生は所属ゼミの学生の発表には必ず参加」や、「○○先生についている(お世話になっている)から、発表は聞きにいくのが当然」的なやつね、こういう古くさいのは嫌だ。
研究発表があったらそんな事情はそっちのけで良くて、自分の関心のあるもの、や自分のためになるものを聞くべきだと思う。
こういう形での「つながり」って、もっとうまいことつくれないのかなぁ、と言う感じで話がまとまらないけれどもここで話を終えます。
ていうか、書き始めたら書きたいことが多過ぎて、まとまらなくなりそうなので適当なところで、ってことで。