写真を見てると
この前、先輩のお宅にお邪魔した時の話。
オサレな先輩は家にポスターとか写真を壁にかけてらした。
共通の好きなミュージシャンのポスターとか、有名な写真家の写真とか。
「なんていうか、ザラついた感じの写真が好きでさ。」
先輩はそう言っていた。
絵画なんかでもそんな感じで、彼なりの感性に引っかかるものが好きなんやと。
そこからこんな写真撮る人がいる、あんな写真撮る人がいる、そんな話をしていた。
何かそんな感じで、「感性に全てを委ねる」ことができる人が、とても羨ましかった。
僕も好んで美術館に行き、絵を見たりアートを見たり、写真を見たりする。
そう言う経験から、いわゆる「伝統的な」芸術作品よりも、写真や映像を使った現代アートの方が好きやなって思ってたり。
特に写真。
写真って言うのが好きな理由は、割と明確。
僕がやってた研究の分野は視覚文化を扱うものやったから、美術史とか写真史、そのための理論なんかを勉強していた。
せやし、感覚的な部分より理屈っぽいことが理由になっている。
写真ってそれ自体は「現実じゃない」けど「現実を切り取った」もので、フィクションじゃないフィクション。
見せ方と言うところに加工がはいるから、必ずしも「生」とは言えへんねんけど。
ただ、写真によってはその人にとっての「リアル」を可能な限り再現しようとするための加工やったり。
そんなことを考えながら見ていて、「人の視線を追従できる」から、写真が好き。
人の見た世界が見れるから、写真が好き。
なんでこの人はこの写真を撮ったんやろうか、この人には何が見えたんやろうか。
なんで、この表現方法で見せようとしたのか。
そんなことを考えることができるから。
別にそれを考えることができるから「賢い」なんて奢りはないんやけど、ぐーっと思考を深く沈めていける、そんなものを見てるのが好き。
そんな自分を考えると、面倒くさいなぁと思う。
感覚だけで「あ、これ好きやわ」って言える方が、幸せなんやろうなぁと思ったり。
自分自身が面倒臭いと思うからあんまり人とミュージアムとかギャラリーに行かへんねやけど。
一体、僕とご一緒してくれる人とか、僕の話を聴いてくれる人は、どう思ってくれてるんやろ?
そんなことを、ふと思ってしまうのです。